江戸時代に書かれた貝原益軒の『養生訓』を読んで、日頃の養生に活かすシリーズ。
今回は、巻第一総論上、二十五。
人間にはいろいろなわざがあります。
わざを磨く道を術(すべ)といい、すべてのわざには習熟すべき術があります。
その術を知らないと、そのことができません。
例えば、毎朝炊いて食べているごはん。
今は便利な炊飯器のお陰で、タイマーをセットしておけば炊きあがっていて欲しい時間に、火の調節もしていないのにおいしく炊きあがっています。
それでも、お米をササっと研いで、好みの堅さに炊き上がるように水分を調節し、炊飯器を使いこなす必要があります。
しかも、お米を買うときは「七分づきで」と言わないと、小川家用のご飯にはならないのです(笑)
知らないと、小川家のご飯にはなりません。
これを、うちの子どもたちは教えられているから、「お米セットしておいてね」と一言いえば、朝にはちゃんとご飯が炊きあがるのです。
教えなかったらどうなるか?
ダラダラもたもた米を研いで、うまみも胚芽もなくなった米が、硬く炊き上がるかもしれません。
タイマーがセットされていなくて、朝起きても米が水に浸かったままかもしれません。
術を知らないとはそういうことです。
貝原益軒は、養生の術も学ばなければいけないと言っています。
養生の方法を知らずに病気ばかりして苦しみ、長生きしたとしても、ただ生きてさえいればいいというのは喜ばしいことではありません。
人生を楽しむためには、健康に生きる術を学ばないといけないのです。
そこで前回、鍼灸院で教えてもらうといいという話をしました。→『病院と薬と鍼灸と』
鍼灸師も、毎日毎日わざを磨き、一つ一つ習熟し、術を身につけていっているのです。
参考文献:
『図解 養生訓』斎藤 孝 著
『養生訓 (中公文庫) 』貝原 益軒 著 松田 道雄 訳