江戸時代に書かれた貝原益軒の『養生訓』を読んで、日頃の養生に活かすシリーズ。
今回は、巻第一総論上より、一。
人の体は、天地、父母から恵みを受けて生まれ、養われたもの。
自分だけのものではないので、慎んでよく養い、痛めないようにし、寿命をまっとうするべきである。
という言葉から養生訓は始まります。
東洋医学では、混沌とした中から天の気と地の気ができ、その天地の気が上下行き来するなかで男女ができ、父の精の余りと、母の精の余りが合って、1つの別の人を作ることができる。とあります。
いわゆる『ビッグバン』とか『地球の生命誕生』ですよね。
父の精、母の精は、DNAと考えると現代人にはわかりやすいでしょう。
両親からDNAを受け継いだ人は、規則正しい生活をして、無駄に体を消耗させず、親よりも長生きをして、次の世代にそのDNAをバトンタッチしていきなさいよ~っていう、種の保存の話と同じようなことが、ここにも書かれています。
養生とは単に健康的に過ごすのではなく、心のあり方も大切になってきます。
今の自分の体は、両親からもらったもの。
この体は先祖代々受け継がれてきたもの。
先祖がいて、両親がいるから、自分が今いる。
親からもらった体を傷つけないように大切にしましょう。
それが、今回のブログタイトルにも書いてあります『親からもらった体は大切に使おう』です。
なんだか、お年寄りの説教ぽいですが(笑)
儒教的にとらえると、そうなります。
解釈を儒教的な話から変えてみましょう。
DNAって突然変わりますか?(←突然変異や染色体異常などをのぞいて、通常の状態を考えてくださいね)
腸の長い日本人から、急に欧米人並みに腸の短い人は生まれませんよね。
まぁ…生活スタイルや食べ物の変化によって、体型はけっこう違ったりもしますが…。
かと言って、突然肌が白かったり黒かったり、髪が金髪になったり…はしません。
日本人は日本の風土で取れる食べ物を食べ、そこにある菌やウイルスに抵抗できる力をつけ、野犬に襲われないように日中活動し、気候に対応できる体になるように進化してきました。
移動も徒歩や船、牛、馬。今のように新幹線も飛行機もありません。
そんな生活をしてきた人々が、突然、違う気候で採れた食べ物を食べたり、気候の違う場所に行けば、体が対応できないのは当たり前。
今まで行ったっことのないところに行けば抗体のない菌などに遭遇することもあります。
日中活動していたのに、夜行性動物のように夜起きて活動していれば体内の時計が狂うのも当たり前です。
自分が持っているDNA情報にないことをすれば、急に体が対応するのは難しいのです。
それをわきまえずに無茶ばかりすると、丈夫でない人は病気になります。
なので、先祖代々何を食べていたか?どんな生活をしていたのか?を参考にすると、健康的に過ごせます。
多少無茶なことをしても、元気いっぱいな家系の方は、丈夫な先祖に感謝して、多少冒険してみるのもいいかもしれません。
ですが、短命、体が弱い家系の方は、体を大事に使った方がよいでしょう。
つまり、「先祖を敬え」というよりは「健康に過ごすためには先祖の生活の仕方が参考になりますよ」と言う話になります。
゛生活形態の急激な変化は、天に反すること。”
と、斎藤孝先生も著書の中で言っています。
何十世代、何百世代と、米や野菜を食べ続けてきた日本人が、急に食べるものが変わったからと言って、自分の代で腸の長さを変えることはできないし、消化吸収機能を変えることもできません。
私も、常日頃、
「人間のDNAは急激に変化しないから!」
と、普段の食事や生活習慣についていろいろとお伝えしていますよね。
この一番初めのお話は、そういうことなのです。
別に、目上の人を大切にしろとか、親を大切にしろとか…の、儒教的思想から来ているだけではないのです。
親(=先祖代々)からもらった体は、急激に進化するわけではないので、昔の人々がどんな生活をして、どんなものを食べていたのかを参考にして、自分の体を大切に使おう!
と、いうことです。
参考文献:
『図解 養生訓』斎藤 孝 著
『養生訓 (中公文庫) 』貝原 益軒 著 松田 道雄 訳